さくらの杜の桜のはなし

其の十ニ花の雲 江戸の春

「花の雲 鐘は上野か 浅草か」という芭蕉が詠んだ句があります。
上野ならば寛永寺、浅草ならば浅草寺ですが、満開の桜が雲のように連なった彼方から鐘の音が響いてくるということから察すると、芭蕉が花の雲を眺めていた場所は大川(隅田川)を渡った向島あたりということになるのでしょうか。

当時は上野の桜はまだ十分な数ではなく、既にそのころから名所であった飛鳥山はやや遠いため、そうすると芭蕉が句を詠んだ桜の名所は向島あたりと考えるのがやはり妥当なようです。
静かで、のどかだった時代の、江戸の春が脳裏に思い浮かんでくるようです。

ほかにも、桜をこよなく愛した歌人としては、西行法師が筆頭に挙がるでしょう。
22歳で出家し、山中の庵に住み、数多くの名歌を詠み続けた偉大な存在で、「散る花を惜しむ心やとどまりて また来む春の誰になるべき」「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」などの代表的な歌を残しています。