桜にちなんだ落語に、「花見酒」と「長屋の花見」というのがあります。どちらも江戸から明治にかけた時代が舞台で、登場人物はどこか抜けたところのある憎めない庶民です。
まず「花見酒」。
春爛漫の或る日、懐(ふところ)も寂しいが、賢さも今ひとつという男ふたりが、大勢の花見客でにぎわう江戸の向島に出向いて、酒を売って大もうけをしようと考えました。
知り合いの酒屋から酒を3升、樽や茶碗とともに借り受けて、一杯5銭で売ろうという計画でした。
ところが目的地に着いたころには、ふたりとも喉(のど)が渇いてカラカラです。ひとりが釣銭として用意した5銭を相方に渡して酒を買い、おいしそうに一杯飲み干してしまいます。
それを見ていた相方もゴクリと喉が鳴り、受け取った5銭で自分も一杯買ってしまいます。それが一杯、ニ杯と......代わりばんこに5銭が行きつ戻りつ、互いに酒を売り買いし続けて、いつの間にか用意した3升をすっかり飲み干してしまいました。
3升の酒はすべて完売でしたが、売上金としてふたりの手元に残ったのは5銭だけでした(笑)。
一方の「長屋の花見」は、貧乏長屋の大家と店子(たなこ)がうちそろって上野に花見に出かけるという話です。
貧乏長屋ご一行ですから、酒は番茶を煮出して薄めたもので、見かけは酒そっくり。肴は大根を薄く切った蒲鉾もどきと、沢庵の卵焼きだけです。
花見客で満員の上野で蓆(むしろ)を敷いて、形だけの宴会が始まりましたが、なにしろ、お酒ならぬ"お茶け"を漬物をかじりながら飲むだけですから、まるで盛り上がりません。
俳句に凝っている熊さんが、大家の要求に応えて一句ひねります。しかし...、
「長屋中、歯を食いしばる花見かな」といったようなものばかりで、大家の顔もますます渋くなるばかり。
そのうち、黙ってじっと湯呑を見つめていた男が、静かに口を開きました。
「近々、長屋にいいことがありますよ」。皆が一斉に首を乗りだすと、続けて男が言いました。「湯呑の中に"酒柱"が立っている」――これが落ちです(笑)。