さくらの杜の桜のはなし

其の三日本人の心に桜が共鳴する―和ごころ

江戸時代の国学者、本居宣長が詠んだ有名な歌に、
「江戸敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」というのがあります。
――清々しい朝の大気のなか、山桜の花が朝日を浴びて眠りから覚め、あたり一面に香りを漂わせている。
日本人ならずとも、心を動かされる光景のように思われます。
しかし、必ずしもそうとは言えないようです。

外国人に日本語を教えている友人によれば、西アフリカの或る国から来た留学生と歩いていたとき、通りがかった家の満開の桜があまりに見事で「きれいだ!」と思わず声をあげたが、留学生は反応しなかったという。不思議に思い、なぜ感動しないのかと尋ねたところ、「だって、食べられないんでしょう」という答えが返ってきたそうです。

日本人にとっては驚きですが、おそらく、これは食用になるかならないかという以前に、淡いピンク色の花に魅力を感じなかったということかもしれません。
限りなく青い空の下に広がる、黒に近い褐色の大地。そこに降り注ぐ強烈な陽光。そうした環境下では、花も、衣服も、原色以外では存在を主張することができません。大気も乾燥しているので、桜のような淡い色の花々はどうしても目立たない存在になってしまいがちというわけです。
だから、アフリカなどではとくに鮮やかな原色の花が好まれます。

そうして考えると、桜色に代表されるパステルカラーの淡い色彩を愛でる理由には、日本独特の気候の影響があるかもしれません。自然との接し方・感じ方には個人差がありますが、民族間となると、そこにはさらに大きな差が出てきそうです。
高い湿気を含んだ日本の重々しい空気のなかでは、原色は逆にうるさく感じられます。
何事にもあいまいさや、淡さ、ぼかしを好むという日本人の心「和ごころ」は、こうした気候の影響もあって生まれたように思います。

宝飾品を例にとっても、日本の伝統的なものはサンゴや真珠、翡翠、メノウなどであり、ヨーロッパの人々が好むダイヤやエメラルド、ルビーなどとは対照的です。
或るいは、欧米人の多くは、秋に虫が奏でる羽音が雑音としか受け止められないという話も聞いたことがあります。

つまり冒頭の歌もまた、日本という環境のなかに包まれてこそ生まれた、日本人ならではの風情、和ごころと言えるでしょう。